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2つのアーティストトーク

昨日、国立新美術館へ「DOMANI・明日展」を観に行って中ザワヒデキさんとやんツーさんのアーティストトークを聴き、今日は府中美術館「絵画の現在」展で出品作家7人中6人が参加したアーティストトークを聴き、非常に濃い内容、情報量過多で大変。


中ザワヒデキさんとやんツーさんのトークでは、人工知能に限らず機械の美学と芸術について話されていて、やんツーさんの、「新しい鑑賞者」としてセグウェイ(機械)がやんツーさんの過去の作品を鑑賞して歩く(でも実はカメラが付いていない。「何も見えていない」ということが人間の鑑賞者の状態を示唆的に表している」)作品が話全体の象徴的な存在になっていた。


今日のアーティストトークは絵画の作家ばかりなので、中ザワさんのマトリクスでいう「人間の美学による人間の芸術」要するにルネサンス以降のほとんどすべての芸術に分類されるわけで、ほぼそれしか知らない私には、本当に切実で地に足の着いた話が多かった。

初めの方では、おふたり続けて「こんな批判もあり。」などと反省の弁(?)を述べられるので、なんとなく重苦しい雰囲気になっちゃうのかなと真ん中前の方の席で内心ドキドキしたけどそんな雰囲気は最初だけだったので安心した。


そのような、かなり手法の違うアート作品についてのトークセッションだったけど、ひとつ共通点かなと思うことがあった。それは、「絵画の現在」展の方でで白井美穂さんがヒルマ・アフ・クリントを紹介したときに言った「何が絵を描かせているのか」という言葉。

それから、やんツーさんが言った「一見作家の目標に見えることも実は後付けの演算結果でしかなく、作家には自由意志はないのではないか。主体自体も実はないのではないか」という言葉で表されている、「作家はどこまで主体性を持っているか」という話。


それから、デュシャンが言ったという「見るものが芸術をつくる」という言葉。

It is the spectators who make the pictures.

作品の主体はどこにあるのか。


作家はどこまで主体性を持っているんだろう。

自分はどうだろう。



以上、備忘録的に。


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